本を読む:余白への想像力
『風神雷神 Juppiter,Aeolus』(上・下)
原田マハ 著 2019年 PHP研究所
『風神雷神図屏風』を描いた俵屋宗達が、天正遣欧少年使節とともにヨーロッパに渡っていた…というストーリー。
大陽寺の住職の僧名が宗達のため、宗達つながりでこの本をご紹介します。
俵屋宗達は生没年すらもハッキリわかっておらず、その生涯がどのようなものだったかを想像する余地のある人物。そこに「ヨーロッパに渡って絵を学んだ」というエピソードを仕立ててしまう大胆さに、航海という冒険要素を加え、さながら少年漫画のようでもあります。
この物語を歴史や美術の側から見ると「荒唐無稽」と思えるかもしれません。しかしエンターテイメントに歴史の要素が加わったと思うと、知的好奇心を刺激してくれるものになるのではと思います。
学校での授業では日本史と世界史は違う分野として、別々に教わります。しかしそれぞれの国々は確かに同時に存在し、文化を築いてきました。大海原へ漕ぎ出した主人公たちは、日本史・世界史の垣根を越え、一つの世界として捉える思考を与えてくれます。
また、日本画の描画シーンもなかなか読み応えがあります。日本画は、作品を見たことはあっても、その制作工程を知っている人は多くありません。絵の具というと、チューブから出して水で溶くことが頭に浮かびますが、日本画は岩絵具という粉の状態から始まります。(現代でも日本画はチューブ式ではありません。)一筆入魂の緊張感のあるシーンです。
織田信長など、自分の知っている歴史上の人物の名が出てくるとワクワクしてしまいます。それが史実であるかはさておき、「もしかしたら、そうだったかもしれない」と思うことで、更に読者の中で世界は広がっていくでしょう。
歴史の空白は、私たちの想像力が自由に遊べる余白なのかもしれません。